I don't play it with my size, I just play with my heart.I think I have one of the biggest hearts in this league.That's what helps me get over it nine times out of 10,just playing with my heart.
「体のサイズでプレーしているんじゃない、ハートでプレーしているんだ。俺はリーグで1番大きなハートを持っていると思う。ハートでプレーすること、それで殆どのことを乗り越えてきた」
類い稀なる運動能力を持っていた。全身バネと形容される確かな才能を持っていたことは言うまでもない。しかし、彼にはバスケットボールで最も有利となる「身長」の才能がなかった。バスケットボールに愛され、かつ嫌われた男、アレン・アイバーソン。その大きな才能の欠如と厳しい生い立ちが、誰よりもハングリーに戦う最大の原動力となる。
1975年、母アン・アイバーソンが彼を出産したのは彼女がまだ15歳のときだった。アンが暮らしていたのヴァージニア州ハンプトンのゲットーは暴力、ドラッグ、売春が日常のように蔓延しており、アンは自身と息子の将来を案じ祖母の家を出た。
アンは家を出てアイバーソンの父親とは別の男性と結婚したが、環境や生活の厳しさは変わらなかった。88年に夫はドラッグ所持容疑で逮捕され2年の懲役。アイバーソンも8歳のときには人が死ぬのを目撃した。91年には重い病気の娘が生まれ多額の医療費が必要となる。アイバーソンがNBAにアーリーエントリーした理由の一つとして、妹の治療に必要な資金を得るためといったものもあった。
高校時代アメリカンフットボールとバスケットボールで州チャンピオンに輝いたアイバーソンだが、当時アイバーソンはバスケットボールはソフトなスポーツとし、アメリカンフットボールの道に進みたいと考えていた(彼がどれだけハングリーな人間かが感じられる)。しかし母親の強い勧めによりバスケットボールを選択。全米中の大学からスカウトの話があり、卒業後は名門ケンタッキー大学への進学が決定していたが、ある事件が起きた。
ちょうどバレンタインだった2月14日、アイバーソンはボーリング場で起きた白人グループとと黒人グループの乱闘に巻き込まれ逮捕された。当初白人の言い分のみが聞き入れられ、アイバーソンが白人女性の頭を椅子で殴ったして懲役5年を言い渡された。しかし人種差別があったことで全米の注目を集め、裁判はやり直された。1995年に無罪が確定したが、アイバーソンは5ヶ月の服役を余儀なくされる。当然ケンタッキー大学からの奨学金は取り消された。
アイバーソンが服役中、母アンはジョージタウン大学を何度も訪問し、アイバーソンの奨学金を嘆願した。その甲斐あってアイバーソンはジョージタウン大学に進学。翌年アーリーエントリーし、ドラフト黄金期の1996年組のなか全体1位でフィラデルフィア・セブンティーシクサーズに入団が決まった。
それから15年NBAでキャリアを送り、様々な記録と伝説を打ち立てた。だが、第一線で戦い続けたいと欲するアイバーソンはNBAから離れ、トルコリーグのチームに入団。いつかNBAに戻りたいと話していたが、叶うことなく先日引退を発表し、プロバスケットボール選手としてのキャリアに幕を閉じた。
1996年ドラフト全体1位。ルーキーイヤーに5試合連続40得点。新人王、得点王、スティール王、シーズンMVP。輝かしい記録だが、それよりも彼は記憶に残った選手に思われる。日本でもジョーダンの次の波と言える爆発的な人気を起こし、世界中のバスケットボールプレーヤーに影響を与えた。彼の良いニュースを聞かない近年ではあったが、これからの人生に多くの幸があってほしいと心から願う。
それまであった「楽しくやるオールスター」の常識を一変させた伝説のオールスター。NBAファイナルのような熱量とスピードで戦うトップ選手たちの攻防が見れる最高のゲームです。その中心となったのがアイバーソン。彼の熱量がゲームを活性化させ、本当の意味での「真剣勝負」を見せてくれました。近年も真剣勝負の体裁を取りはしますが、はっきり言って比べ物にならないでしょう。この名勝負を近いうちに手に入れる予定ですので、気になる方はブザービーターを要チェックです!
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